雑記

はじめたのに全然書かないまま2月。
肩肘張らずに最近のことを。

最近、夕ご飯食べているとき、昼間家にいるとき、朝の支度をしているとき…などなど、テレビをつけてみたりします。
各時間帯ちら見だけど、どの時間帯も、タレントや芸人が出ていて、ワイドショー的な感じで、「笑っていいとも」のあとに始まった番組がどれなのかもよくわからず。
笑っていいともみたいな、しょうもなバラエティはもうないんだなと思った。
ワイドショーにはあまり愛を感じない。

話は変わって先日。
義祖母が亡くなった。
一度しか会えなかったので、自分自身とおばあちゃんの想い出はほとんどない。
でも葬儀に参列して、そういう想い出や、愛された記憶は関係なしに、こちらが相手に愛をもつことはあるんだなとはっきり思いました。

おばあちゃん、自分の子供に愛されて、家族に愛されて、おばあちゃん自身みんなを愛して生活していたんだな。
いつかみんな何かしらで死ぬけど、死ぬのは当たり前だけど、まざまざとさっきまで続いていた愛を感じると、どうしようもなく悲しいです。
救いは、愛の記憶は消えないこと、生きている人同士でまたそれを続けられること。年齢に関係なく、それを増やせること。

悲しいことがあっても無くても、愛し合って生きるべき。
電車でドラムの参考に、と思って聴いてたオザケンも、そう歌ってた。


なんだか最近、愛が大事だと思うことが多いのです。

辛かったり、怒りだったりがものづくりや行動の原動力、というのをたまに見かけます。
でも、怒りとかって、何かに対するもの凄い愛があって、それを否定されたり、それが無くなってしまうかもしれない気持ちからきているんじゃないのかしら。
怒りや恨みや辛みが原動力って言わないで、ものすごい愛が原動力って言ってほしい。
わたしはもの凄く何かが好き!って思ったときに何かつくりたくなります。
声を大にして言いたい、ものすごい愛が原動力!


とあるところで偶然読んだ、内田樹さんの「反知性主義者の肖像」という文章が面白かった、これまた偶然みた仏教についての話も面白かった。
(内田さんのは、ざっくり言うと、知識いっぱい持ってても、人の話が聞けなかったりするのはいけないよって感じ。
仏教のは、仏教は救いの為にあるんじゃなくて、真理をみつけるのが目的、みたいな感じ。
どっちもめっちゃざっくりしています)
確かに!と思うことが多くて、どっちも面白かったです。
知識がたくさんあっても、人の話はきいてほしいし、そういう人にこそ愛をいっぱい持ってほしい。愛は認める気持ち。
仏教も、真理(悟り)って愛だなと思います。
釈迦は偶像崇拝の概念がなかったらしく、日本の「万物に神はいる」発想ってこういうとこからかなーと思った。初期仏教って哲学みたいでおもしろい。

哲学、倫理とかすごく面白いから、興味があります。

もうひとつ、最近思ったのはコミュニケーションにおける国語力と観察力の大事さ。
会話している人を端からみていて、全然話がかみ合っていない…と思うことがたまにあります。
コミュ二ケーションを言葉でとろうとするとき、国語力と観察力は大事だし必要ですね。
何を言ってるのか正しく理解して、さらになにが言いたいのか察知して。自分の言いたいことも分かりやすく、かつ正しく伝える。

言葉と気持ちは違うから、話してる言葉が全てだと思いすぎないけど、人同士のコミュニケーションだと言葉も大事。
コミュニケーションも愛。

わたしは最近いろいろなことから愛の必要性を感じ、自分の中でいろいろつながって、今非常に愛を重んじている。
愛は大事、愛は人の心を動かす。愛は伝染する。
ていうかそれ以外で人の心を動かすものなんてあるのかな。


なんか、やばい宗教とかにはまった人みたいだけど、そんなことは全然ありません。


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写真は、音源製作やってます。ということでサンプラーと、ちょっと前に見たいい感じの看板。
わたしは写真をとるセンスがありません。

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